めざせ! 中道(ちゅうどう)

みなさん、こんにちは慈観です。
ようやく春到来ですね!

東京では全国で一番早く桜が満開、今年は久しぶりにお花見をされている方々も多いようです。
今日は朝からWBCの日本対メキシコ戦が気になって、気になって、仕方がないですね!
先日、私も観戦に行って来ましたー。
今日の準決勝、日本代表のみなさんには頑張っていただきたいです。

そこで!
今回はWBC、侍ジャパンについて大いに語ります!
と行きたいところですが、そこをグッと堪えて今日という日に因んだお話をさせていただきます。
今日は、お彼岸の中日(春分の日)です。
お彼岸の中日である春分の日、秋分の日は太陽が真東から登り真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ同じ(中間)になります。
このことから、仏教の開祖お釈迦様が説かれた「中道(ちゅうどう)」の教えと結びつくようになり、お彼岸は「中道」の実践期間としても考えられています。
中道」とは、何事に対しても一点に囚われない、偏らない考え方、生き方をすることです。
お釈迦様は厳しい苦行の末、どれだけ厳しい修行をしても悟りを得ることが出来ないとわかり、最終的に苦行や断食を捨て、「中道」を覚ったとされています。
極端な苦行やそれとは逆の快楽に走ることなく、目的に叶った適正な修行方法をとることにしたのです。
またお釈迦様は自分のお弟子さんにも弾琴の喩えだんきんのたとえ)を通して「中道」について説きました。
★(弾琴の喩え)内容
当時、お釈迦様にはソーナという若い弟子がいました。
ソーナは日々厳しい修行に邁進していましたが、いつまでたっても悟りを得ることが出来ませんでした。
そこでソーナはお釈迦様へ相談します。

ソーナ「私は修行僧のなかでも、一番頑張って修行をしていると思っています。でも、いつまでたっても悟りを得ることが出来ません。私の実家はそれなりに裕福なので、今の修行生活に見切りをつけ、世俗に戻って裕福に暮らした方がいいのではないかと思うのです」

お釈迦様「ソーナよ、おまえは出家する前、琴を弾くことが巧みだったという話をきいたことがあるが、本当かな?」

ソーナ「はい、琴には心得があります」

お釈迦様「では聞くが、もし琴の弦があまりにも強く張られていた場合、琴はよい音色を奏でるだろうか?」

ソーナ「いえ、強く張りすぎていてはよい音はでません」

お釈迦様「では、琴の弦があまりにも緩く張られていた場合、よい音色を奏でるだろうか?」

ソーナ「いえ、緩すぎてもよい音はでません」

お釈迦様「そうか。では、強くもなく、緩くもなく、ほどよく張られた弦だったなら、その琴はよい音色を奏でるということだな」

ソーナ「はい、そのとおりでございます」

お釈迦様「ソーナよ、修行も同じだ。精進を重ねることは大切だが、あまりに苛烈な修行に身を置いてしまうと、心が高ぶってしまい静まることがない。また、逆に修行をゆるやかにしてしまえば、怠惰の心が湧いてきて修行にならない。だから、おまえはこれから平らな精進に身を置きなさい。身と心を平穏に保つことを目標にして精進してみなさい」

ソーナ「はい、わかりました」

おわり

お釈迦様は、あまりにも厳しい修行に身を置くソーナに対して、厳しいことが必ずしもよいことではないことを伝えました。
ソーナにとってお釈迦様の言葉は、おそらく自分の選択肢には全くなかったことだと思います。
もしソーナが修行とは厳しいものだと思い込んでいれば、それ以外の発想などなかったはずだからです。
それだけ思い込みというのは視野を極端に狭くさせ、異なる発想をする機会を奪ってしまうとお釈迦様は確信していたのでしょう。
私も、僧侶の修行時代に同じような経験をしました。
当時、私を含め約60名の院生が一年間集団生活を共にしながら僧侶になるための修行に励んでいました。
入寮当初、まだ互いに知らない者どうしということもあり、私も含めて他の院生達もなかなか打ち解けることができませんでした。
当初、私はとにかく他の院生達に影響されず自身の修行だけに集中することだけを考えていました。
そんな時、修行道場の師匠からこう言われた記憶があります。

「少しぐらい、あそびをもちなさい。車のハンドルには運転しやすいように、あそびというものがあるだろ。例えて言うならば今のお前はあそびが無いハンドルと一緒だよ。あそびが無いハンドルでは運転しづらいだろ。お前は自分の狭い視野や思い込みで修行をしているように見えるし、そのような凝り固まった考えではいつか心が折れてしまうぞ。だから周りの仲間とも出来るだけ接して、自分と違った発想、視野、柔軟性を取り入れることも僧侶になるためには必要なことだよ。それはこの修行道場を出て僧侶になった後も大切なことなのだよ」と。
当時の私は修行に対しては、周りに影響を受けずに厳しさだけを追求しなければいけないという思い込みが強く、非常に偏った考え方をしていたようで、それではダメだということに気づかされました。
今、大詰めを迎えているWBCを観ていても少し同じことを感じます。
それは他球団の選手同士が非常に仲良しだということです。
私が子供の頃に観ていたプロ野球は、オールスターゲームやシーズンオフの日米野球以外は他球団の選手同士が同じチームで一緒にプレイすることは殆どありませんでした。
そのせいか他球団の選手は敵、仲良くするなど到底ありえないという固定観念のようなものが蔓延っていたように思います。

しかし現在は全く違います。

キャンプ前の自主トレーニングを他球団の選手同士で仲良く行っている光景をテレビで見ますし、打撃や投球に関してお互いに教えあったりもしているのです。
普通に考えれば、敵チームの選手に教えることは自身のチームが不利益を被る可能性もあるわけですが、今のプロ野球選手は野球界全体の発展を見据えているようで凄いと思います。
「他球団の選手と仲良くしてダメ」は、今では古く偏った考え方のようで、選手同士が惜しげもなく情報交換をして互いにレベルアップすることが結果的に自身と野球界の成長につながればよしとする柔軟な考えなのです。

私にとって「中道」とは理想のお坊さん像にもつながるものだと思います。

徳純院にお勤めして10年になりますが、お坊さんとしての立ち振る舞いについてはいつも考えさせられます。
真面目すぎても近寄りがたいと思われたり、逆に明るくユーモアがありすぎても頼りないと思われたり、立ち振る舞いについては正解がないようです。
正解がないので永遠のテーマとして「中道」をめざすことが理想のお坊さん像に近づけることだと感じています。
みなさんも、日常生活の中で今回お話した一点に囚われない、偏らない考え方「中道」を少し実践してみてはいかがでしょうか?
そうすれば、必ず新たな気づきを得て自身の成長にもつながっていけるのではないでしょうか。

次回をお楽しみに

合掌

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